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当たり前のことを当たり前に(AA運動)

当たり前のことを当たり前に
1.AA運動とは?
 AA運動とは、現代日本人の子供達を「自立」させることを目標に、各PTAや小中高等学校に私(小崎)が呼びかけている運動です。A(あたりまえにことを)、A(あたりまえに)できる「自立」する子供に育てよう!とする、基礎的な10項目からなる運動です。
 生徒用・保護者用・教師用の三種類がありますが、順番に紹介し、最後に「教師用」について解説します。私が今書いている本のエッセンスになります。
(1)生徒用 AA運動  …当たり前のことを当たり前にできる「自立」した社会人になろう。
一 「挨拶(あいさつ)は早いが勝ち。」「コミュニケーションは挨拶で始まり挨拶で終わる。」気持ちの良い挨拶が出来る人間になろう。
二 「いただきます」は命をいただく食材への感謝。「ご馳走(ちそう)様でした」は、その料理や食材に関(かか)わり、走り回った全ての人々への感謝の言葉。人権教育や国際理解教育にも繋がるキーワード。
三 「自尊感情」が自立の基盤。自分を・家族を・故郷(ふるさと)を・日本を「愛し、誇(ほこ)り」に思う人間になろう。そのためには、自分の「長所」を知り、故郷や日本の文化を知る努力をしよう。
四 「ならぬものは、ならぬ。」「弱い者イジメは卑(ひ)怯(きよう)だ。」卑怯を憎み、善行を愛そう。善悪の区別の付く人間になろう。
五 「心の作用反作用の法則」がある。善意の言葉には善意の言葉が、悪意の言葉には悪意の言葉が掛けた分だけ跳ね返ってくる。「ありがとう、ごめんね」、魔法の言葉をすなおに言える人間になろう。友達の良い所探しをして、多くの友達を作ろう。
六 「見てござる。」自然や宗教に畏敬の念を持つ人間になろう。自分の家や自国の宗教を大切にし、他国の宗教にも理解と配慮が出来る人間になろう。
七 「家族の絆(きずな)は家事分担から。」家事を積極的に行おう。「クラスの絆も役割分担から。」掃除や自分の役割を進んで行おう。ボランティア活動を積極的に行い、地域との絆を強くしよう。
八 社会人として必要な、敬語やマナーをマスターするために、親や先生、先輩、近所の人達に敬語を使う練習をしよう。コミュニケーションの基礎となる目配り・手配り・気配り・心配りの「四つの配り」を大切にしよう。
九 自然を慈(いつく)しみ、「本物を体験」し、足下(もと)に転がる「ふしぎ」に好奇(こうき)心と探求(たんきゆう)心を抱(いだ)く人間になろう。
十 人生の「心柱(しんばしら)」は「命」と可能な限りの「自立」。ストレスの多い社会の中で自立するためには、ストレスを乗り越え、新たなストレスに立ち向かう勇気を育てよう。将来の職業自立を目指し、そのために必要なコミュニケーション能力・学力・教養・技術を育てよう。

(2)保護者用 AA運動  当たり前のことを当たり前にできる「自立」する子供に育てましょう。
一 「挨拶(あいさつ)は早いが勝ち。」気持ちの良い挨拶が出来る子供に育てよう。「ありがとう、ごめんね」、魔法の言葉をすなおに使える子供に育てよう。
二 「いただきます。」:食材の命を自分の命に置き代えさせていただくことに感謝。「ご馳走(ちそう)様でした。」:その料理や食材に関(かか)わり、走り回った全ての人々に感謝する子供に育てよう。
三 「自尊感情」が自立の基盤。自分を・家族を・故郷(ふるさと)を・日本を「愛し、誇(ほこ)り」に思う子供に育てよう。仲の良い親(保護者)が最高の教育。愛ある家庭で愛ある子供を育てよう。
四 「ならぬものは、ならぬ。」善悪の区別の付く子供に育てよう。「怒るべからず叱るべし。」叱(しか)る時はその場で、間違った行為をわかりやすく、短く叱ろう。父親は子供と向き合おう、母親は子供に寄り添おう!親は「躾(しつけ)」を役割分担し、連係プレーで行おう。
五 「ほめて育てる。」七つほめて三つ叱(しか)ろう。兄弟・姉妹は比較しない。その子の「良い所探し」をしよう。
六 「見てござる。」神仏(しんぶつ)(含:キリスト・イスラム教等)を畏(おそ)れる子供に育てよう。自分の家の宗教を大切にし繋(つな)ぐことは、全世界の家庭で行われている行為。国際人として対等に付き合う基礎にもなる。
七 「家族の絆(きずな)は家事分担から。」家族の一員として家事を進んで行う子供に育てよう。子供と共に子供会活動・ボランティア活動を積極的に行い、地域との絆を強くしよう。
八 子供を育てるのは花を育てるのと同じ。「手をかけ」て育てよう。毎日の「手入れ」は衣食住・生活習慣の躾。非常時の「手当て」は子供の病気や心の変化などへの危機管理。
九 自然を慈(いつく)しみ、「本物を体験」させ、足下(もと)に転がる「ふしぎ」に好奇(こうき)心と探求(たんきゆう)心を抱(いだ)く子供に育てよう。
十 家庭の「心柱(しんばしら)」は子供の自立。子供が「身辺自立・社会自立・職業自立」し、良き伴侶(はんりよ)を見つけ、次世代に愛を繋(つな)ぐ人物に育てよう。親も「子離れ・孫離れ」の準備をしよう。 

(3)教師用 AA運動  … 当たり前のことを当たり前にできる「自立」した生徒に育てよう。
一 「コミュニケーションは挨拶で始まり挨拶で終わる。」「挨拶(あいさつ)は早いが勝ち。」気持ちの良い挨拶が出来る生徒、校歌や国歌を大きな声で歌うことの出来る生徒に育てよう。そのためには教師が率先垂範しよう。 現代日本の子供達の弱点は、コミュニケーション力の低下だと考えられます。同級生との横社会における「メール」によるコミュニケーションは得意ですが、面と向かっての対話は苦手な若者が多いようです。ましてや体育系の部活動の経験も無く、横社会でのコミュニケーションしか無かった若者が、縦社会の実社会に出て大きなストレスとなるのは、「挨拶」「敬語」「電話での応対」「客からのクレームへの対処」などの縦社会の実践的なコミュニケーションだからです。
 特に「コミュニケーションは挨拶で始まり挨拶で終わる」ことから、気持ちの良い挨拶が素直に出来る生徒は、それだけで社会の中で評価されます。家の中で、近所の人達に、そして学校の友達や先輩、さらには先生に対して明るい挨拶が出来る生徒は高い評価を受けます。近所の人に明るい挨拶をするだけで、「A家のB君は、気持ちの良い挨拶をするけれど、A家の教育がいいのだろう!」…と、B君だけでなく、A家全体が誉められ、地域で信用を得ることができるのです。
 挨拶を「習慣化」する最善の方法は、 「挨拶は早いが勝ち」と心得、出会った人達に、より早く挨拶をする競争です。他人との競争ではなく、「消極的な自分」と「積極的な自分」との競争、…つまり、自分自身の競争です。
 朝起きてから寝るまでに、出会った人に挨拶しましょう。自分が早く挨拶したら「一勝」、相手が早かったら「一敗」、同時に挨拶したら「引き分け」となります。「今日は何勝何敗何引き分け」とカウントすることで、挨拶が楽しくなります。
 最初は、あなたが挨拶しても、挨拶が返ってこない場合が多いかもしれません。最初はあなたは連戦連勝かもしれません。しかし、継続的な挨拶運動により、だんだん引き分けが増えてきて、あなたが負けることも増えてきます。そして挨拶する仲間も増え、一年もすれば、挨拶で溢れる学校・社会に変身するでしょう。
 ところで、挨拶にはコツがあります。挨拶する時に、そっけなく挨拶するか?それとも心を込めて挨拶するか?…は、相手にすぐ伝わります。相手の目を見て、笑顔で挨拶すれば、相手も無視しにくくなります。そして、思わず返礼することになるのです。
二 「いただきます。」は命をいただく食材への感謝の言葉。「ご馳走(ちそう)様でした」は、その料理や食材に関(かか)わり、走り回った全ての人々への感謝の言葉。人権教育や国際理解教育にも繋がるキーワード。 人権教育のところで詳述しますが、「いただきます・ご馳走様でした」の挨拶は、最も効果的な人権教育だと考えます。なぜならば、「いただきます」とは、肉・魚などの動物の命や、野菜・果物などの植物の命を、人間の命に置き換えさせて「いただく」ことに対するお礼の言葉だからです。
 また、「ご馳走様でした」の「馳」は馬で走り回り、「走」は人の足で走り回ることを意味する言葉です。その食べた料理を運んでくれた人、作ってくれた人、食材を売ってくれた人、食材を運んでくれた人、食材を殺し・血を抜き・捌いてくれた人、食材を作ったり獲ったりしてくれた人達に対するお礼の言葉なのです。現代の日本人が口にしている食材は、全世界の国々から輸入されており、全世界の人々に対するお礼に言葉とも考えられ、「国際理解教育」にも繋がる言葉でもあるのです。
 「命をいただく」ことの有り難さ、厳粛さを感じながら食事をいただくことで、食事に対する心構えが変わります。
三 「自尊感情」が自立の基盤。自分を・家族を・故郷(ふるさと)を・日本を「愛し、誇(ほこ)り」に思う生徒に育てよう。そのためには、教師は生徒を、生徒の環境を、生徒の故郷を知る努力をしよう。 生徒達には、両親の不仲・離婚・DV等で家庭的に恵まれず、不安な毎日を送っている者もいます。また、イジメや不登校を経験し、友達を作ることが苦手で、学校に行くのが苦痛だと思っている生徒もいます。家族の愛が乏しい子供、自分を愛せない子供も増えています。
 後述しますが、「私は価値のある人間だ」と思う日本の高校生は、1割もいない状況があります。日本の高校生は自分に自信がありません。自分を愛し、自信が無ければ、足元がズブズブで、自立の一歩を踏み出す勇気が湧きません。今の日本の若者には、自分・家族・故郷・日本を愛し誇りに思うことのできる人間になる事が求められているのです。
 そのためには、まず生徒達に自分の「良い所さがし」をさせましょう。家族や友達から指摘してもらう方法もあります。また先生が、生徒の良い所探しをして伝える方法もあるでしょう。次に、トイレ掃除など、進んで家族のためになる家事を頑張るように促しましょう。きっと、「ありがとう。助かるよ!」…との、感謝の言葉が返ってくるからです。この「小さな成功体験」を積み重ねていくことで、家族の一員としての「誇り」が育ち、「自尊感情」が高まります。
 また、教師は自分の家(点)と学校(点)を線で結ぶ生活をしてはいけません。生徒が生活しているバックグラウンドを知る必要があるからです。生徒がどのような交通手段で、どのような道をたどって通学しているのか? 生徒の住んでいる家の環境、付近の植生、歴史等を学ぶことは大切なことです。生徒の発想の原点を知ることでもあり、さらに、進路指導にも大きな力となるからです。
四 「ならぬものは、ならぬ。」「弱い者イジメは卑怯(ひきよう)だ。」善悪の区別の付く生徒に育てよう。「怒るべからず叱るべし。」叱(しか)る時はその場で、間違った行為をわかりやすく、短く叱ろう。担任は生徒と向き合おう、副担任は生徒に寄り添おう!学級経営は「躾(しつけ)」を役割分担し、連係プレーで行おう。 会津藩の武士の幼児教育組織に「什(じゆう)」という組織があり、「什の掟(おきて)」を全員で唱えていたといいます。礼儀作法を守れ、弱い者いじめはするな、卑怯なことはするな、見苦しいことはするな、ダメと言われた事はやせ我慢せよ・・と、会津では、幼児の段階から武士道の本質をたたき込まれました。
 「弱い者イジメはするな!」「卑怯な真似はするな!」ということは、学校のイジメを撲滅する本質的な言葉です。イジメは会社に入ってからもありますが、子供のうちから「弱い者イジメは卑怯だ」とする考えをたたき込むことにより、卑怯な真似をしない人間を育てる事になります。特に、最後に、「ならぬものはならぬものです」と、説明できなくても「ダメなものはダメ」と念を押しています。
 「怒(おこ)るべからず叱(しか)るべし。」という言葉がありますが、「怒る」という行為は、大人の「怒(いか)り」を一方的に子供に投げつける行為であり、子供の心に決して届きません。子供は大人が怒っている間、心を閉ざし、シェルターの中で嵐が過ぎ去るのを待っているだけになります。頭ごなしに上から目線で甲高く大きな声で怒るのではなく、子供の目の高さに自分の目を持って行って、冷静に、ゆっくりと、低い声で「叱り」ましょう。叱(しか)る時はその場で、間違った行為をわかりやすく、短く、子供の心に届くように叱りましょう。
 担任はお父さんの役割、生徒に真正面から向き合いましょう。「弱い者イジメはするな!」「卑怯な真似はするな!」という役割です。そして、副担任はお母さんの役割、「担任の気持ちはこういう事なんだよ!」「君のために担任は君を叱ってくれたんだよ!」となだめる役割になります。また副担任がベテラン教師の場合は、役割を逆にしても構いません。二人で躾を役割分担し、共同作業で行いましょう。
五 「心の作用反作用の法則」がある。善意の言葉には善意の言葉が、悪意の言葉には悪意の言葉が掛けた分だけ跳ね返ってくる。「ありがとう、ごめんね」、魔法の言葉をすなおに言える生徒を育てよう。生徒の良い所探しをして、「ほめて」育てよう。七つほめて三つ叱(しか)ろう。贔(ひい)屓(き)をせず、生徒には平等に接するよう心掛けよう。  皆さんの生徒に次のように教えましょう。友達を作りたかったら、友達になりたいと思った人の良い所を探し、誉めることだよ。「この間の授業中の質問鋭かったね!」…と。そうすれば、その人もあなたの良い所を探してくれ、誉めてくれます。自然に二人は友達になれるよ…と。互いに不足しがちな「自尊感情」を高めることが可能になります。
 AC広告でおなじみの金子みすゞの「こだまでしょうか」の詩にはこうあります。
「遊ぼう」っていうと  「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと   「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと   「遊ばない」っていう。
そうして、あとで  さみしくなって、
「ごめんね」っていうと  「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、   いいえ、誰でも。
 悪意の言葉を掛ければ、悪意の言葉が掛けた分だけ返ってきます。一方、善意の言葉を掛ければ、善意の言葉が掛けた分だけ返ってくるのです。これを「心の作用反作用の法則」といいます。
 特に、「ありがとう、ごめんね」 …という善意の言葉は、仲直りを促す「魔法の言葉」だと言われます。なぜなら、この言葉は、自分の思いをストレートに表現している言葉で、「ごめんね」だけでなく、「君が友達でいてくれてありがとう」という意味も込められているからです。だからこそ、相手の心にも、素直に届き、相手も、「こちらこそ、ありがとう、ごめんね」…と素直な言葉を返してくれます。善意の言葉を素直に使うことが出来る生徒を育てる先生になりましょう。
 先生自身も、生徒の良い所探しをして、「ほめて」育てましょう。でも、誉めるばかりで無く、叱るべき時にはキッチリ叱りましょう。バランス的には、七つほめて三つ叱(しか)りましょう。純真な生徒達は、贔(ひい)屓(き)を最も嫌います。クラスの生徒達全員に目配りし、平等に接するよう心掛けましょう。
六 「見てござる」自然や宗教に畏敬の念を持つ生徒に育てよう。自分の家や自国の宗教を大切にし、他国の宗教にも理解と配慮が出来る国際人に育てよう。 日本人は12月24日にクリスマスを祝い、12月31日にお寺で除夜の鐘を突き、1月1日に初詣をします。このように、日本人は多神教であり、決して無信教ではありません。富士山頂でご来光に祈り、高山や大木・磐座(いわくら)を崇めてきました。明治維新以前は神仏混淆は常態化しており、神社の境内に地蔵や観音を祀り、寺の域内に稲荷神や天神様を祀るのは普通の光景でした。明治維新後の神仏分離令以降、廃仏毀釈運動が起こるなどして日本の宗教がおかしくなりましたが、基本的に日本人は多神教なのです。
 日本では、人が死んだ場合、葬式を行い、初七日・四十九日・先祖の墓への納骨・一周忌等を行っていました。しかし、戦後、二男三男は都会に行き、女兄弟も都会に働きに行くなどして、都会で結婚し、核家族が爆発的に増え、先祖の墓にお参りする機会も極端に減り、都会に近郊に墓を購入したり、身寄りが無い場合は、菩提寺の納骨堂に永代供養してもらったり、あるいは樹木葬などをする人達も増えてきました。「私のお墓の前で泣かないで下さい・・・」という歌も流行り、風になってしまうと感じる人達も増えてきたことから、風葬・水葬・・等による散骨も一般的になりつつあります。しかし、今、あなたがこの世に存在するのは、ご先祖様のおかげであり、また、子や孫がいるのなら、あなた自身がご先祖様になるのです。連綿と繋がれてきた絆をあなたの代で断ち切る前に、再考しても良いのではないでしょうか。私は今、妻と共に月一回実家に帰り、実家の空気の入れ換えや墓掃除をし、お参りをしています。先日、嫁いだ娘と共に数十年ぶりの徹底的な墓掃除を一日がかりで行いました。墓石に染みこんでいた黒カビや苔を取り除き、ポリタンク二杯の水で綺麗に洗い、吹き上げた後、三人でお参りをしましたが、本当に心安らぐ思いでした。サザエさんの家族のように、一年に一度ご先祖様の墓のお参りでも良いのでは無いでしょうか。あるいは三年に一度でも墓の掃除を子や・孫と共に行う事を家族の行事としたら、家族の絆は強くなり、ご先祖様との絆・そして子孫との絆も強くなるはずです。「どうせ行けないのだから」「どうせ自分の墓を守る者はいないのだから」・・・と諦めず、「せっかくなら一年に一回でもお参りできれば」「せっかくなら子や孫も伴って」とポジティブに考えることで、無縁墓も減少するはずです。私の妻は、毎朝、起床時にご先祖様に家族の安全をお祈りしています。本人は、「お祈りではなくお願いよ!」と謙遜していますが、その願いはきっとご先祖様が「見てござる」はずです。
 9.11アメリカ同時多発テロ事件に象徴されるように、世界では、宗教が戦争や自爆テロの原因となっています。アフガニスタン、イラク、シリア周辺は、ISを発火点にして宗教紛争で泥沼化しています。イスラエルと周辺国家の対立も厳しい現状にあります。
 しかし、他の宗教を敵視し認めない状況からは世界平和は生まれません。自分の家の宗教を大切にし、神仏に祈りを捧げる習慣を子共につけさせること、他人の信じる宗教を尊重することは、大切な宗教教育であり、国際平和に貢献できる人材育成の基礎となるのではないでしょうか。
 「お天道様が見てござる」「そんなことをしたらバチが当たる」という感覚を子供の時から持たせることは、人倫を尊び、健全な宗教観を育み、自然環境を大切にする基礎を育てることになるからです。かって、大阪商人は、値段交渉において合意を得たら、双方共に「見てござる」と言って「手打ち」を行ったそうです。「天の神様が見てござる。裏切ったら信用を無くし、大阪では商売が出来ないよ!」とする事でもあったのです。今でも、そのなごりは静岡の荒茶の入札に残っており、言葉ではなく「そろばん」で交渉し、合意を得たら「手打ち」で締めるそうです。
七 「家族の絆(きずな)は家事分担から。」「クラスの絆も役割分担から。」掃除や自分の役割を進んで行う生徒に育てよう。生徒と共にボランティア活動を積極的に行い、地域との絆を強くしよう。 就労可能な国民全員が、それぞれの仕事を頑張ることにより国の経済が回るように、経済の最小単位である「家族」全員が、家事分担をすることで家が回ります。近頃の家庭では、「小遣い」は、家族のためになることをしても、しなくても貰える子供の「権利」となっていますが、昔の「駄賃」のように、家事をした「報酬」として与える必要があります。「働かざる者食うべからず」という労働の原則を、子供の時からたたき込むことで、自立の基礎が育まれるからです。家事を分担し、家族の一員として自分の分担を責任を持って行う事で家庭経営が順調に行われます。互いに感謝し・感謝されることにより、家族としての一体感が生まれ、家族の「絆」が強化されるのです。
 学級においても、それぞれの係分担の役割を果たし、掃除分担を時間いっぱい果たすことで学級が回ります。学級でも、他人が見ているいないに関わらず、それぞれの役割をキッチリ果たすことで、学級の「絆」は強化されるのです。
 さらに、生徒達には、地域のボランティア活動には積極的に参加するように促して下さい。先生共々参加するのも良いでしょう。その時に、地域の様々な人達と積極的にコミュニケーションを取らせることが大切です。敬語の使い方も教えましょう。ボランティア活動に参加することで、地域を知り、地域の人達と仲間になり、地域の人達から信頼され、地域の人達から感謝される体験をすることになります。ボランティア活動は、生徒自身が一番感動し、良かった!ためになった!と実感し、生徒の「自尊感情」も高めてくれます。
 地域の絆も参加することから生まれます。保護者に対しては、または皆さん自身が子供の親になった時、地域の住民として、子供会活動や地域の公役(くえき)(チリ拾い・除草作業等…農村では道作りや溝さらい等)、神社の御輿担ぎ、消防団活動、防災訓練等に積極的に参加しましょう。地域の行事に参加することで地域の絆を強めることができるのです。
八 生徒が社会人となる時に必要な「敬語」の練習を意識的に実施しよう。生徒は、花を育てるように「手をかけ」て育てよう。毎日の「手入れ」、非常時の「手当て」…異常事態における危機管理を適切に行おう。目配り・手配り・気配り・心配りの「四つの配り」を大切にしよう。 生徒が社会自立するためには、学生の期間に、縦社会の常識を学び、訓練し、自分のものとしておく必要があります。特に敬語の練習が必要ですが、近頃の若者は、家庭では敬語を使っていない者が多く、近所の人達と挨拶を交わしたり世間話をすることもありません。よって、生徒が敬語をマスターする場は、学校しかありません。学校では先生や部活動の先輩達に敬語を使う練習を意識してさせましょう。生徒が卒業し、就職する縦社会では、同僚・先輩・上司・後輩・お客様・クレーマー…等に対し、適切な敬語を使い分ける必要があるからです。
 さらには、社会人になれば、あらゆる方向にレーダーを張り巡らせ、「四つの配り」を実践する必要があります。「四つの配り」とは・・・?
(目配り)…今、何が起こっているのか?自分の立ち位置はこれでいいのか?、
(手配り)…スケジュール管理や会議の段取りは出来ているのか?、
(気配り)…今日のお客様への対応で何か問題は無かったか?、
(心配り)…普段から守ろうと思っていた心構えが今日は守れたか? …等々を日々三省する必要があるのです。
九 自然を慈(いつく)しみ、「本物を体験」させ、足下(もと)に転がる「ふしぎ」に好奇(こうき)心と探求(たんきゆう)心を抱(いだ)く生徒に育てよう。教師は足下に転がっている教材を磨き上げ、宝物にする努力を不断にしよう。 自然を慈しむ心は、自然を体験しなければ育ちません。子供の頃から自然に向き合い、虫を観察し、雲の動きを眺め、夜空の星を見上げ、鳥の声を聞き分け、庭先や野山の花の薫りを楽しみ、それらの名前を覚え、岩石や化石に触れて太古の昔を想像するなど自然の驚異、自然のすばらしさを五感で体感する必要があるのです。身の回りのミクロの世界にも、夜空を見上げた宇宙の世界にも、実際体験するからこそ「感動」が生まれるのです。ゲームのバーチャルな体験からは、本物は決して生まれません。
 教師は足下に転がっている教材を磨き上げ、宝物にする努力を不断にする必要があります。教科書に書いてあることをそのまま教えても、生徒には通り一遍のことしか伝わりません。教師が体験したこと、その感動を、実例や写真、動画などを交えて伝えることが出来れば、生徒にはその感動が伝わり、生徒の心を揺さぶることが出来るかもしれません。
 我々の足下には、様々な不思議、宝物がゴロゴロと転がっています。普段の風景の中に、宝物はあるものです。普段は見て(see)いても、見えていない事が多いのです。「おや、なぜだろう?どうしてかな?ちょっと変わっているな?」…と、足下の不思議を凝視(watch・gaze)し、拾い上げ、磨くことにより、宝物は光り出します。小さな疑問を一歩前に出て拾い上げ、watchすることから始めましょう。疑問があれば調べましょう。人生を変える大切な出会いは、小さな疑問を掘り下げることから始まるものです。
十 学校教育の「心柱(しんばしら)」は生徒の「命」と生徒の「自立」。ストレスの多い社会の中で生徒を自立させるためには、ストレスを乗り越え、新たなストレスに立ち向かう勇気を育てよう。将来の職業自立のために必要な技術・教養・学力・コミュニケーション能力を育てよう。授業も、部活動も、生徒指導も、進路指導も学校の危機管理の判断基準も生徒の自立を「心柱」に据えて行おう。 地球より重いのが「命」と言われますが、命を無くせば取り戻すことが出来ません。生徒が命を失う原因には、イジメや心因性の問題を原因とした自殺、部活動中の事故、体育の授業中などの事故などもあります。また、特別支援教育の場合は、病気が悪化して、給食中の誤飲、野外活動中の行方不明などによっても命を落とした事例があります。
 我々は、このような事故が起きないように、普段から「ヒヤリ・ハット」に注意し、未然に事故防止の予防に努める必要があります。そして、万一事故が起こったら、生徒や保護者に寄り添い、誠心誠意、誠実に対応する必要があります。決して、学校や教育委員会の顔作りのために行動してはなりません。初期対応におけるまずい対応が、家族の不信感を招き、残念な「事故」で終わるはずのものが、スキャンダラスな「事件」や「裁判」に変わる可能性もあるのです。
 生徒の「自殺」の問題に関しては、普段から「命の教育」をしておくことが肝要と考えます。それは、皆さんの授業中に行う事も出来ますし、ホームルームや休み時間でも出来ることです。生徒に訴えることは、①命の大切さ、ゲームのようにリセットした後またやり直すことは出来ないこと、今ここに存在する奇跡などについて熱く話しましょう。そして、②一時的に、我慢できないことがあったとしても、一呼吸置いてみること、過去のことは過去のこと、「鈍感力」も必要だということを生徒に話して下さい。さらに③未来を信じること、「過去は変えられなくても、未来は君の手でいくらでも変えることが出来るのだ。…と訴えましょう。おって、④もし、死にたい!と思っても、「命の電話」があることも教えましょう。また、夜に死ぬのは絶対止めるように訴えて下さい。夜は一番「気」が衰える時間帯だからです。朝になれば、まぶしい太陽、暖かい太陽が、死ぬのを思いとどまらせてくれます。気も晴れて、未来への希望も湧いてきます。
 生徒の自立のためには、「身辺自立」「社会自立」「職業自立」を段階的に乗り越えていく必要があります。特に、社会自立のカギは「コミュニケーション能力」です。縦社会の中でイヤな上司ともうまく付き合う能力、様々なストレスを乗り越える能力、相手の思いを受け止める能力(受信)、自分の思いを相手に伝える能力(発信)、客のクレームに対処できる能力(調整)に、現代の日本人は弱点があることを自覚し、コミュニケーション能力を磨く必要があるのです。
 社会自立に必要な「教養」や「学力」そして「技術・資格」は、学生の期間に、可能な限り頑張って身につけることが求められます。全ての学問は結びついており、いつかは役に立つものです。発明発見や新しいアイデアは、例外なく、異なった分野の知識が結びつき、化学反応を起こして「創造」が生まれるものだからです。また幅広い「教養」は、ビジネスパーソンの商取引や普段の会話の武器になるだけでなく、長い人生を豊かに生きる原資にもなってくれます。
 就職し、衣食住を自分でまかなうことができることを「職業自立」といいます。「一人前」とも言われます。職業自立し、良き伴侶を見つけ、結婚し、子供を産み・育て、その子供を自立させるまでが親の役割になります。実社会は様々なストレスに満ちあふれています。日常的に、様々なストレスを受け流し、受け止め、乗り越えることで、大人の階段を一歩ずつ登ることになるのです。
 プロゴルファー・横峰さくらさんの伯父・横峯吉文氏が自分の保育園で実践した幼児教育で、「子供をやる気にさせる4つのスイッチ」は、①子供は競争したがる ②子供は真似したがる③子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる④子供は認められたがる …だとされています。競争すること、友達の真似をすること、少し難しい目標にチャレンジし乗り越えること、そして認め誉められることが幼児教育の本質だということです。幼児の時から多少のストレスは必要で、そのストレスを乗り越え、他から認め誉められる経験が子供を成長させることだとされるのです。
 さらに、オリンピックで優勝するような一流の人間になる人は、ストレスを楽しむことが出来る人です。大舞台に立ってビビルのではなく、そのストレスを友とすることで、大舞台で自己最高記録や世界新記録を打ち立てるのでしょう。
 昔は「十年一昔」と言っていましたが、現在は「三年一昔」と言われるように世の中は目まぐるしく変化しています。「種の起源」を著したダーウインは、『生き残る種は最も強い種でもなく、最も賢い種でもなく、変化に最も適応できる種(※実は、多くの突然変異の中で環境に適応できた種)である。』…と述べています。皆さんも、そして皆さんが教える生徒達にも、「心柱」を持ちながら、世の中の変化に柔軟に対応できる人物になってほしいと切に祈ります。

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