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日本人として、心の教育・道徳教育(その1) [歴史・文化・教育]

※ この文章は、今教育関係の本を出版することを考え、その原稿の一部を紹介するものです。
日本人として、心の教育・道徳教育
1 日本人として
(1)戦後の日本を検証しよう
 今、日本は未曾有の危機の真っ只中にあります。千年に一度の大地震と津波が押し寄せ、死者15,854人、行方不明者は2万人を越えただけでなく、原発が破壊され、今も故郷に帰ることが出来ない避難民が約29万人もいいます。
 私の故郷「熊本」も大地震に見舞われました。益城町では震度7(震度の最高)が平成28年4月14日と16日に連続して二度起こりました。直下型地震は、千年~数万年に一度起こるそうですが、まさしく、万一の天災が私自身にも降りかかりました。熊本の場合は、日奈久断層を震源とする震度6弱の「前震」と布田川断層を震源とする震度6強の「本震」でした。前震のマグニチュードは6.5、本震は7.3でした。そのエネルギー差は何と16倍だそうです。私の場合、震度6弱は冷静に耐えられる揺れでしたが、4月16日午前1時25分の震度6強は、なすすべも無く自然の驚異に振り回されました。家中が大きなドラム式洗濯機でかき回された状態で、タンスが飛び、建具が舞い、電灯が落ち、陶磁器・ガラス器のほとんどが割れてしまいました。マンションのドアは閉まらず、壁には至る所にヒビが生じていました。マンションの外にはコンクリート片が落下し、タイルは剥がれ、建物の周囲は陥没するなどの被害がありました。また、L字型の二つの建物がぶつかり合ったヶ所は鉄筋がむき出しになるほど破砕していました。本震の直後にマンションの外に妻と共に逃げ出し、未明から朝まで近くの中学校の校庭で毛布にくるまって過ごしました。その後は近くの臨時避難所を転々としましたが、臨時避難所には避難物資は無く、自分で食料や水を調達しましたが、コンビニやスーパーも被災しており、物を売っているところがほとんどありませんでした。臨時避難所にも物資が届き始めた時に、ようやく電気・水が確保されたことから家に帰ることができました。しかし、温水器が破損したことから、一ヶ月半以上も自分の家でシャワーを浴びることは叶わない状態が続きました。私は自分の家に帰ることが出来ましたが、まだ多くの人達が避難所や仮設住宅での生活を強いられることになります。これまで当たり前に出来ていたことが出来ない体験をすることで、近隣との絆や人生について考え直す切っ掛けになったのではないかと実感しています。
 ところで、目を外に転じてみると、周辺諸国との関係も厳しいものがあります。対中・対韓関係に関しても、戦前・戦後に積み残してきた多くの課題をどう精算するのか?これからの日本外交の舵をどう切るのか?正念場にあると言えます。
 教育においても、今までフタをして見ようとしなかった戦後日本の教育の様々な課題を直視し、率直に話し合う時なのかもしれません。危機の日本において教師に何ができるのか?人として日本人として知っておきたいことについて考えてみましょう。
 戦後日本の教育は、「一億総懺(ざん)悔(げ)」と、教科書にある記述で、占領軍のGHQの意に反する記述を、生徒達に墨で黒く塗りつぶさせる作業から始まりました。この背景には、アメリカにも多くの犠牲者を出すほど強かった日本社会の根本に「天皇制」があり、家族的な絆を是とする日本人の「心の絆を分断」し、二度と「アメリカに抵抗できない」ようにするためのプログラムが組まれていたからだと考えられています。
 この計画は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」*1と呼ばれ、「日本人骨抜き計画」と呼ばれることもあります。これは、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画であり、心理学者や人類学者などを総動員し、周到に練られた計画だと考えられています。さらにマスコミに関しては、GHQは「プレスコード(Press Code for Japan)=日本に与うる新聞遵則(SCAPIN-33)」で言論統制しましたが、その内容は、以下の通りです。*2
  1 SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2 極東国際軍事裁判批判
  3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
  4 検閲制度への言及
  5 アメリカ合衆国・6ロシア(ソ連邦)・7英国・8朝鮮人・9中国 への批判
 10 その他の連合国・11連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
 12 満州における日本人取り扱いについての批判
 13 連合国の戦前の政策に対する批判
 14 第三次世界大戦・15冷戦に関する言及
 16 戦争擁護・17神国日本・18軍国主義・19ナショナリズム・20大東亜共栄圏
  ・21その他の宣伝
 22 戦争犯罪人の正当化および擁護  23 占領軍兵士と日本女性との交渉
 24 闇市の状況
 25 占領軍軍隊に対する批判  26 飢餓の誇張
 27 暴力と不穏の行動の煽動  28 虚偽の報道
 29 GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 30 解禁されていない報道の公表  …以上です。
 このように、占領下の日本においては、GHQに不都合な真実の報道は徹底的に言論封殺されました。このプレスコードにより新聞社に対しては、GHQの意に添わない新聞社に数日間の発行禁止処分*1をしたりしました。また、あたかもNHKが独自に編成した番組を装い、「眞相はかうだ」というGHQに都合の良い番組を作成するなど、ラジオ放送を巧みに利用する方法で巧妙に日本人骨抜き計画は押し進められました。
 一方で、一番強力に・大胆に推し進められた計画は、アメリカを中心とした連合国による軍事裁判です。「連合国」とはUnited Nations…日本語訳の「国際連合」のことで、仮想敵国「枢軸国…日独伊」に対抗する国際組織とされます。戦後の日本が「連合国」に加盟するために、それまで「連合国」と呼んでいた名称を、外務省が「国際連合」と読み替えた苦肉の呼称です。そして、連合国(国連)は、未だ枢軸国の「敵国条項」を破棄しておらず、経済大国となり、多額の負担金を支払っているのにもかかわらず、日・独が安全保障理事会の常任理事国になれない理由だとも言われています。
 靖国神社の閣僚参拝を中国・韓国が非難する根拠は、靖国神社に極東軍事裁判のA級戦犯が合祀されている事です。A級戦犯とは何でしょうか? 勘違いされがちですが、A級・B級・C級という呼称は、犯罪の程度の強弱を表すものではなく、「犯罪の種類」の違いを表すものなのです。
 もともと「戦犯…戦争犯罪人」とは、捕虜虐待(ジュネーブ条約)や毒物兵器使用(ハーグ陸戦条約)などを犯した者を裁く国際法として成立したもので、これらは今では「B級戦犯」と呼ばれています。第二次世界大戦終結までは、「戦犯=B級戦犯」しか無く、「A級戦犯」と「C級戦犯」は戦後新たに作られたものなのです。
 つまり、「A級戦犯」と「C級戦犯」は、「罪刑法定主義」…犯罪とされる行為の内容、それに対する刑罰を予(あらかじ)め、明確に規定しておかなければならないとする近代法の原則や、「刑法の不(ふ)遡(そ)及(きゆう)」…過去に遡(さかのぼ)って刑法を適用することはできない…とされる近代法の大原則を、全く無視したものでした。 戦後、アメリカを主とする戦勝国は、極東国際軍事裁判(東京裁判)では、敗戦国の責任者である東条英機らの責任を追及するために創り出したのが「A級戦犯(平和に対する罪)」です。また、ニュルンベルク裁判では、ナチスドイツのユダヤ人虐殺を裁くために創り出したのが「C級戦犯(人道に対する罪)」でした。
 東京裁判・ニュルンベルク裁判共に、一審のみの裁判で、検察も裁判官も連合国の裁判官でした。唯一の例外は、インド人の「ラダ・ビノード・パール判事」通称「パール判事」だけでした。そして、パール判事は唯一の少数意見として「全被告人は無罪である」としています。また、厳密な意味での「戦争犯罪」の検討においては、「非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろう。」とも述べているのです。勝者が敗者を裁くために、近代刑法の大原則を無視し、強引に適用したのがA級戦犯・C級戦犯なのです。勝者・連合国による敗者・枢軸国(日独伊)に対する「みせしめ」の裁判だと考える人も多いのです。戦勝国のアメリカ合衆国最高裁・裁判長ハーラン・フィスケ・ストーン判事でさえ、「ニュルンベルク裁判は連合国による集団リンチである」と述べているほどの裁判でした。
 なお、この裁判における上訴は許されず確定しており、多くのA級戦犯・C級戦犯が、B級戦犯と共に処刑されました。そして、その不名誉を雪(そそ)ぎ、戦勝国の不正義を断罪する道は残されていないのです。
 靖国神社の総理大臣参拝や、閣僚の参拝が中国や韓国で非難され始めたのは、中国の愛国主義教育が始まった頃と軌を一にしています。自国の戦死者を祀る施設に参拝することは、極めて当然なことであり、どこの国もしていることです。アメリカには「アーリントン国立墓地」があり、日本の総理大臣も参拝しています。しかし、靖国神社には、A級戦犯が合祀されているということで、中国・韓国が強く反発しています。それどころか、2013年10月、アメリカのジョン・ケリー米国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が連れ添って、東京・「千鳥ヶ淵戦没者墓苑(第二次世界大戦の無名戦没者の墓)」を訪れ、献花、黙祷を捧げたことが報道されました。これは、安倍首相が『アーリントン国立墓地を引き合いに出し、靖国神社は国のために命をささげた人々を慰霊する施設であり、日本の指導者が参拝するのは極めて自然で、世界のどの国でも行っていることだと述べていた。』ことに対するアメリカの回答のようです。つまり、両長官は、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑が、アーリントン国立墓地に最も近い施設であり、戦没者に哀悼の意を表すなら、靖国神社ではなく、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にしなさい!」…というサインを送ったもののようです。アメリカがアメリカの正義をアピールするために、苦心してでっちあげた「A級戦犯を祈るなんてとんでもない!」…という事なのでしょう。
 確かに、A級戦犯が靖国神社に合祀されたことで、昭和天皇も参拝を中止され、今上天皇も参拝されていません。靖国神社サイドは、「靖国に祭られる246万6千余柱の神霊の中から(A級戦犯…と連合国が勝手に決めた)特定の神霊を分霊したとしても、元の神霊は存在し続ける。例えれば、コップの水からA級戦犯分の水滴だけを取り除くのは不可能」という主張のようです。しかし、福岡県遺族連合会は「全ての国民にわだかまりなく参拝していただくため、昭和殉難者14柱を分祀すること」を求める決議を採択しています。本当に福岡県遺族会を含む多くの遺族や国民が望む「分祀」は不可能なのでしょうか。今上天皇が御在位中に、靖国神社に参拝されることは無いのでしょうか? 内閣総理大臣が大手を振って公式参拝することは無いのでしょうか?
 私は、分祀は可能と考えます。なぜならば、そもそも「分祀」には二種類の分祀があるからです。①有名神社の神霊を分けてもらう一般的な分祀と、②神社の数柱の神霊から特別な一柱だけを別の社に遷す分祀の二種類です。①の一般的な分祀は、宇佐八幡宮から全国の八幡神社に神霊が分祀されている例、北野天満宮や太宰府天満宮から全国の天神社が分祀されている例など、全国のほとんどの神社の例です。この例は、主要な神社の御利益を、そのまま下位の神社に分け与えることを意味します。例えば、宇佐神宮の主神は、「八幡大神(応神天皇)・比売大神(宗像三女神)・ 神功皇后」ですが、これら三神の御利益が、そのまま東大寺境内の「手向山八幡宮」や隼人の反乱鎮圧後の「鹿児島神宮」、さらには京都の「石清水八幡宮」に分け与えられ(分祀され)、「石清水八幡宮」から鎌倉の「鶴岡八幡宮」に分祀された例が挙げられます。ちなみに、宇佐神宮の神々は、「御輿」に乗って東大寺や鹿児島神宮に分祀されました。つまり、これらの例は、靖国神社が主張されるように、「水」に例えるならば、上流の水が、中流・下流にそのまま流れていく状況です。
 一方、②の神社の数柱の神霊から特別な一柱だけを別の社に遷す分祀の例…に関しては、私が知る限りでは、明治天皇の時代に、1件の「特別な分祀」の実例があり、神霊を遷す手法に関する実例がもう一例あります。靖国神社の例は、明らかに、②の神社の数柱の神霊から特別な一柱だけを別の社に遷す分祀の例に相当するものです。
 神霊の一柱だけを分祀した例は、明治天皇が神田明神に行幸された時の神田明神側の対応の例です。Wikipediaの記事によれば、『明治7年(1874)、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984)になって本社祭神に復帰した。』*1…とあります。このことは、明治天皇が参拝された明治7年から昭和59年の110年間もの間、神田明神の本殿から、平将門の神霊を完全に分祀していたことを示しています。
 神霊を移動した例としては、明治6年、後鳥羽上皇が隠岐の島の「後鳥羽上皇山陵」から京都の三千院横の「山陵」に遷された時に、政府は「神霊幸還の儀式」を執り行い、隠岐の山陵は、翌年、全て取り毀(こわ)されてしまった史実があることです。*1 もっとも、数年後に、取り毀され放置されていた隠岐山陵跡の下から、立派な「骨壺」と思われる遺物が発見されるという「事件」が起こりました。その対応策として、そこで火葬されたわけでもないのに、「後鳥羽上皇火葬塚」という名の高い塀によって囲まれた立派な山陵が宮内省(当時)によって建立され、現在も厳重に管理されている事実はあります。この経緯については、拙著『後鳥羽院の怨霊封じと百人一首の謎』に詳述しています。
 この、皇室に関連の深い二つの事例から論理的に考えられることは、靖国神社においても、昭和殉難者14柱(A級戦犯)の立派な「摂社」を、別途靖国神社境内に設け、「神霊幸環の儀式」を行えば、完全に神霊を遷すことが可能なことを示しています。仏教においても、仏像を移動する場合、「魂(たま)抜(ぬ)き」の儀式を行い、移動先において「魂(たま)入(い)れ」の儀式を行うなど、神道の「神霊幸環の儀式」と同様の儀式も存在します。「開(かい)眼(げん)供養」とは『新造の仏像・仏画を賛嘆供養し,最後に眼を入れて霊を迎える儀式』*2のことを言います。
 このような実例もあることから、靖国神社におかれては、「小異を捨てて大同に就く」精神で、今上天皇陛下、皇太子殿下、悠仁殿下のために、また多数の遺族会の方々のために、そして誇りを持って靖国神社に参拝したい内閣総理大臣以下全ての国会議員、さらには全国民のためにも「分祀」の英断を心からお願い致します。できれば、靖国神社本殿の「鬼門封じ」として「艮(うしとら)」あるいは「未(ひつじ)申(さる)」方向に摂社を建立し、盛大な「神霊幸還の儀式」をしたらどうでしょうか。政治的にも、中国、韓国、アメリカから何ら文句を言われない条件整備が整いますし、靖国神社の弥栄(いやさか)にも繋がることだと信じるからでもあります。皇族・内閣閣僚は「本殿」だけを参拝されれば良いでしょう。そして、A級戦犯は「無実」だと信じる大半の国民は、「昭和殉難者14柱の英霊が眠る摂社」にも必ず参拝し、アメリカの非情、中国・韓国の非道に思いをはせることでしょう。

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